資料を見て


協会の役職の一端に、請われるままに名前を連ねて、もう数年になる。


名前が役に立つならばどうそ、という感じでスタートしたが、その後もずっとそのままになっている。そんな訳で、役職名に直結した仕事ができているか、というと全然だめで、名ばかりの働きの悪い役員、となっている。
選手としての活動以外で、指導や青少年射手の育成にからむものは、可能な範囲でお手伝いしよう、と頑張っているのは、その辺りを「埋め合わせ」たいという気持ちによるものである。


先週末、先月の理事会の議事録が届いた。
日韓高校選手権の結果が載っているのが、ふと目に止まった。


今でこそ、ユニバシアードやユニバチャンピオンシップ、ユースオリンピック、といった、目標にできる学生向けの国際大会が現れたが、私が学生だった当時には、韓国との大学・高校の親善試合だけしかなかった。
私にとっては、大学の最終学年で、その代表としてソウルに遠征できたことが、初めての「全国区デビュー」であり、その後射撃を続ける大きなきっかけとなった。
思い出深い大会である。


当時から、韓国に日本は実力で大きく水を開けられており、私たちの時は、「大善戦」と言われたものの、個人の銀が2つ、銅が1つどまりで、団体戦にいたっては話にならないくらいの点差をつけられた。
私自身にとっては、その銀が頂けて、韓国の選手たちとも楽しく交流し、夢のような遠征であったが、日本の技術や組織の脆弱さを思い知らされもした。


あれから15年。
結果は何ら変わりがなかった。まったく歯が立たないままである。
日本勢の点数は、15年前と変わらない水準である一方、韓国の点数にはさらに数段磨きがかかっていた。


10mの韓国高校生は軒並み590台半ばを撃っている。
日本のナショナルチーム選考会よりもレベルが高い。


ある程度の水準になったら、このくらいを撃てないと駄目だよな、と私の中で思っている通りのことを、韓国ではきちんとやっている。
高校生がこの程度に射撃をわかって、ちゃんとやっていたら、安心して私は選手の方を辞めていたかもしれない。
この水準に到達するための手伝いなら私にもできる、という自信はあるし、そこから、さらに上へ向けてどうしようかと、この選手層と一緒に考え、模索することは、きっととても楽しいであろう。


日本はレベルが低いから、まだ選手として楽しめてしまっている。
いや、楽しんでいるというよりも、「この程度」は普通にできなければならないのだ、と自ら示して回ろうとする思いから続けている、という「しんどさ」も少しある。


選手として、思うに任せない状況と、一向に強化の肝心な部分が手付かずのまま、なすすべもなく10数年過ぎている状況。
いろいろ考え合わせると、覚悟もないままずるずると情けなく引き裂かれている自分の姿に、げんなりしてしまうことがある。


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