今週の練習


今日は、スーパーの近くの空き地を借りて、保育園がバザーをする。
ここまで数週間、商品の供出・整理から、ポスターの作成、値段付けまで、いろいろな準備作業があった。相方は忙しげに、休みや平日の夜遅くに出かけて、大変そうだった。


前日となる昨日は、入園希望者向けの体験保育に朝から娘を連れて行って、昼過ぎにいったん帰宅。夜にある運営委員会までに実家へみんなで移動して、ふたたびそこから保育園へ出かけていった。
ひとり自宅に泊まって、今朝は早くから会場に詰めているはずだ。頭が下がる。


朝の間だけ、ひとしきり遊んでご飯を一緒に食べると、義母に娘を任せて、今日も練習に行かせてもらった。


試合では、そもそも滑り出しで思い通りに撃てなければ、勝負にならないのであるが、そこがきちんと滑り出せても、疲れてくると、技術のあやふやなところから崩れてくる。
週一とは言え、繰り返した練習ができていると、スタートの時の再現については確信を持ってできるようになってくる。さらにその後に、それが疲労と共に変化してしまうことも繰り返し経験でき、それがその時だけのものか、必然的な傾向があるのかも見えてくる。


今日の練習を通じて、首・頬・右上腕の部分にどうも、そういう厄介であやふやなところがあるんじゃないか、と見当をつける。銃よりも身体側で軸をとる点については、おおむね安定した成果が得られたようにも感じる。


隣で車椅子から撃っておられた方が、教本やHPで私のことをご存知で、昼の休憩のときに声を掛けてくださった。78歳ながら非常にお元気で、障害者射撃やマスターズ大会に定期的に出ておられるようである。


「今日は来週のマスターズ遠征に向けて練習だ。私のクラスは台も使うし、満射を撃てないといけないといかんと思うんだが、なかなかそうはいきません。あなたの教本を読んで勉強していますよ。いやあ、それにしてもあなたはもっと年配の方だとばかり思っていましたよ」
、と楽しそうに話をされる。


年齢が年齢であるし、車椅子でもあるので、少し気にして片付ける様子を見ていたら、
「生きているからしかたなくできることをやっとるんでね、鉄砲くらいしかできんようになった。人の手を借りなきゃならなくなったら辞めますよ」
と、荷物や銃を、器用に一まとめにすると、ずんずんと自分で1階へスロープで降りて行って、車で帰っていかれた。


なんだか嬉しくなって、張り切って午後も練習したのだけれど、2時間弱も撃つと疲れ果ててしまって、不覚にも、片付ける前にコートを着たまま、少しばかり椅子で寝入ってしまった。


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