「こうじょう」


娘は、2語・3語くらいを並べたしゃべり方に磨きをかけ、そこで使われる言葉の数を日々増やしている。


「−して」
「ぱぱ こっち」


などの、依頼・命令や指示語が多くなった。
それに返事をすると、ごにょごにょと、よくわからないが、さらにその返事に対してもなにか説明をしてくれたりする。
私は、ほほえましく思いながら、うんうん、と聞いているのだが、相方によれば、時にはあたらしいことばを自分で「練習」したりもするのだ、という。
それに対しては、半信半疑だったのだが、この間、ついに私もそういう場面に出くわした。


一昨日の日曜日、ホームセンターの帰りに市内を走っていると、大きな電機メーカーの工場を通りかかった。
「ぶーぶ、ばいばい」
「まま これー」
などと言っていたので、たまたまあった工場を指して、
「これは、工場。」と、何の気なく指を指して言ってみた。


すると、じーっと眺めながら「こうじょ・こうじょ・こうじょ・・・」と練習するようにつぶやくので、え?と驚いた。
あ、これか、とあわてて、「いろんなものをつくってるんだよ」と説明する。


へへー本当なんだね、と感心して、それきり、この場面については私も、相方も忘れていた。


それが今日、相方によると、保育園の帰りに隣町の大きなベアリング工場の横で信号待ちをしたら、窓の外を指差して
「こうじょ。まま こうじょ。」
と言ったのだそうだ。


これには、さらにびっくりしてしまった。
人って、すごい。


通りがかりに見る光景を、捉えて覚えておく力。
初めてその時意識してみたものについて、その特徴だけを抜き出して、全く別の光景からその共通点を見つけ出して、「同じ種類のもの」と類推する力。
そういうものを自ずと伸ばし備えているのだ。


まだ決して使いこなせていない「ことば」であっても、そういうものがその「ことば」によって「分節」され、整理されることに、ものすごく強い意欲・興味があるのだ。
ヒトが他の生物から際立っている特徴といわれる「好奇心」や「ことば」について、その原点をみせられた気がした。


[fin]