格上げ申請なし


銃を持たずに射撃場に通い、散々他人が撃っているのを見、射撃についての助言や講義をする日々を経ると、自分の中でもわずかなりに何かが整理されて試したいことが浮かんだり、以前の自分のパフォーマンスの中に気になる部分が見つかったりする。
そして何より、他人を励ますと、自分も頑張らなくてはという気持ちが強くなる。
「教える」という行為は、大変果実の多いものである。


そんなこともあってうずうずしていたので、今日は、練習に出かけさせてもらった。
ホームグラウンドに着くと、先日の強化合宿でも複数のメンバーが参加していた、有力なN大学が夏合宿の最中であった。
コーチのHくんと挨拶すると、学生たちを横目に練習に入る。


ひとまずは、2週間後に迫った、国体ブロック予選が目標試合である。


この国体ブロック予選、形式的な手続きはとりあえず全部踏むという、例年若干鯱張りすぎの大会で、その「格式」の高さがいい練習になる。
種目によっては、予選通過枠が1とか2というものもあって、そういう種目の選手にとっては、「いい練習」などという悠長なことを言ってられない、大変な重圧の大会でもある。
そういう方々には申し訳ないが、私の出場する10m競技は全員が通過することになっている。


純粋にトレーニングマッチとしてしまうことができるのだが、私はここまで特筆すべき高スコアを記録していないため、先月はじめの時点では、この大会に向けて準備をできる限りやって臨み、ランキングを上げにかかろうと考えていた。
しかし、先日、それは叶わないことがわかった。
それはなぜかというと、次のような事情による。


今年から、大会の格付け制度が適用され、記録公認のできる試合とそうでない試合を分け、公認しない試合については運営の簡素化を認めることになった。
境界にある大会(G3)については、主催者の腹ひとつで、きちんとした公認試合にもできるし、簡素な大会にしてしまうこともできる。
私たちの属するブロックは、「格式」にことのほかこだわって鯱張るくらいなので、当然「非公認」なんてことは回避するだろう、と思っていたのだが、今年もブロック選手だけの大会として開催することには変わりないようだったので、それで公認試合にしてもらえるのかが心配で、協会本部の理事会記録を注意して見るようにしていた。


5月の理事会では、早くもいくつかのブロックが大会の公認申請をして了承されていた。残りのブロックが申請をするのは次回であろうと思われたので、7月の記録が届いて目を通して見ると、案の定たくさんのブロックから申請が出されて、格上げが承認されていた。
ところが肝心の私の属するブロックからは申請が出されていない。
これでは、日本記録が出ても公認されず、ランキングの対象からも除外である。


・・・昨年、日本記録の出た大会である。
ブロック通過をかけて、選手は真剣勝負を強いられるのに、その結果は一切公認されない。
ましてや、格式ばることにかけてはもはや右に出るものがいないというようなブロックである。公認されないがゆえに簡素に運営する、ということは考えにくく、厳しい用具検査のほか、公式ルール外の本射コール、弾薬確認、試合前の入場時間制限など、どちらかというと役員サイドの考える「公平」によって固められることであろう。
モチベーションの上がらない話である。


さすがに、協会の中心的な理事の方に、これはいかがなものか、今からでも何とかならないのか、と問い合わせてみた。
格上げ申請を断念したのは、やはりブロック選手だけの大会として開催することによる「規模の不足」が原因だという。
ではどうして、他の選手も参加する大会と併催ということにできないのかというと、大会主催者となる体育協会との関係で、いろいろと難しい問題があるらしい。
少なくとも、今年はどうにもならない、という。


そんなわけで、今年は「いい練習」として臨むことになる。


といっても、試合への備えが大きく変わるわけではない。練習できる喜びをかみ締めながら、懸命に考えながら撃つ。
身体の感覚は、悪くないが、照準の最終段階で左右にふらふらする、気になる動きがある。
練習の終わりごろになって、狙点が若干高いのを、無理な脱力で降ろしていることが原因ではないかと思い当たった。
バットプレートを、最近の調整範囲に囚われずに、改めて調整してみると、静止の状態に持っていくのが容易になった。


予定していた時間になったので、汗だくになったウェアを脱ぎ、片付けに入る。
N大学の学生たちは、私より随分早い時間にさっさと片付けてしまっていた。
折角たくさん練習できる合宿なのに、何をやっているんだろうなあ、と思って外を見ると、旗を囲んで、声出しと歌の練習をやっている。


一日のうち、実際に撃つことのできる時間は少ない。射撃は、(融通の利かない)射撃場の営業時間以外、練習できない競技なのだ。
遠くにまで練習に来て、その貴重な時間をそんなことに費やす理路が、私には全く理解できない。
日が落ちて、宿の近くででもやればいい。あるいはご来光でも見ながら早朝にするか。
仲間意識の確認に、学歌や寮歌を歌うことが悪いとは思わない。しかしまず、射撃自体を通じて、団結力やチーム意識を涵養できるようにしていくのが本筋だろう。
体育会色だけ強くて弱小なチームならいざ知らず、大学射撃を牽引するべきチームには、そうあってほしいと思う。
賑々しい光景を眺めながら、この国の学生たちが本当に強くなる日はまだまだ遥かに遠いと感じる。


[fin]