二語文

このごろの娘



このごろ娘はとてもよくしゃべる。
歌もうたう。


車に乗ったときなどに、あれを歌え、これを歌えと、いろいろリクエストするのは、手遊びを覚え始めた時からずっとだけれど、近頃は随分と「レパートリー」も増えたようだ。
何を歌っているのか、その歌をこちらが知らない時は、さっぱりわからないけれど、知っている歌の時は、なるほど結構ちゃんと言葉を発音できるようになってきたんだな、と感心させられる。


「くろちゃん いないね」
「ぽにょ ないの」
と、二語文を話すようになったので、さらに驚く。


ちなみに、「くろちゃん」とは、相方の実家の隣にいる犬の名前で、「ぽにょ」とは、崖の下のポニョのトランプのことである(娘はポニョを観たことはないので、そういう柄のひとつとして認識している)。


早朝に起き出す娘のために、このごろは洗濯物が早朝にできあがるようにして、一緒にベランダで干したり取り入れたりするようにしているのだが、「誰の衣類であるか」というのを確認するのが娘のブームである。


「ママの」
「パパの」
「ちゃんの」
と、コメントをつけて私に渡したり、部屋に放り込んだりする。


ちなみに、「ちゃん」は娘が自分を呼ぶ時の呼称である。
娘は、単語の後ろの音が記憶に残りやすいようで、水のことは「ず」といい、みかんのことは「かん」と呼ぶ。


しゃべるようになってから、主張が激しくなった。
意に反する展開になったときの、失意の泣き叫び方は、力強さを増している。


「赤ちゃん扱い」から「子ども扱い」へ、私たちの振る舞いを一歩進めさせる、このごろの娘である。


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