総合団体優勝に寄せて


大会を後にして、私は昨夜のうちに帰ってきた。


行きは一人で悪天候と格闘せねばならないのが辛かったが、帰りは幸いEクラブのTさんを乗せて帰ることになり、随分と助かった。
運転中、前向きな話をたくさん聞いて、元気をもらう。


さて、全日本クラブ対抗戦は今日が最終日である。
わがチームはM君が、クラブ員としては唯一最終日に撃つため、家族と残ってくれている。


今年は、Rくんの加入で戦力が整い、新加入のメンバーのおかげで初めて女子も含めた完全な団体を組むことができた。
種目別はこれまでもたびたび制してきたが、総合団体の優勝を意識するチームになったのは本当に久しぶりのことである。
名門復活はひそかに悲願としていたので、今回は帰ってからも団体成績が気になった。


結果はMくんからメールでチーム員に知らされた。
堂々の総合団体優勝だった。
選抜戦では経験があるが、本戦での総合優勝は私自身18年目にして初めてである。


私が加入したころは、伏射では他を圧倒するチームであった。伏射の種目団体・個人は毎年のように優勝に絡んでいた。日本記録保持者3人が主力だったのであるから、ある意味それは当然であった。
しかし、それは「かつての栄光の残り火でしかない」ということを言われたものだった。
私は入部した瞬間から、静かに低迷期を迎えたチームの、中でも「最も弱い部分」を支え続ける役回りであった。
伏射は放っておいてもしばらく何とかなる、立射の撃てる仲間がほしい、と切に思ったものだ。
若さゆえのあがきでもあったが、後輩や親しい射手をチームに誘ったり、ということもしてみたが、なかなか3人揃えて勝負する、ということは難しいことであった。


Mくんが、私たちのチームに入りたい、と相談に来たのは3年前だったろうか。私には実情の見えない脱退が相次ぐ一方、若い選手たちが集まり始めるようになる、今思えばちょうどチームの大きな転機だった。
Mくんは彼が当時自分なりに抱いていた「チーム観」に、このチームがそぐうものかどうか、不安があったのであろう。私に、どういうチームであるかを様々に問う一方、外部の目から見てこういう部分が物足りない、不満だということをぶつけてきた。
それはかつて、私が抱いた「物足りなさ」とも重なるものでもあったが、目先のちょっとした勝敗やなにかで評価できない、このチームだけが担っている「役割」と表裏一体のものであると、今の私には感じられるものでもある。


私たちのチームは、1969年創立と未だ40年の歴史であるが、その草創期から日本のライフル射撃界において風雲を巻き起こした、新しき名門である。
創設に際して、社会人から国際大会に選手を送り出す拠点とすべく高く志を掲げ、他とは一線を画す強化組織であることを課した。
今は知るものも少なくなったが、昭和50年代、T氏の厳しい指導の下で腕を磨いた「五人衆」は自衛隊体育学校を圧倒し続けたという。
その黄金時代は決して長かったとは言えないが、体校を向こうに回して、指導を請われ、交流戦を申し込まれる側であった歴史を持つ。
結果的に、これまでにオリンピック・世界選手権・ワールドカップアジア大会にも選手やスタッフを数多く送り込んできた。


今は表向きには愛好会としての実態しかないけれど、未だそこここにそのシステムは維持され、心密かに捲土重来を期する者のゆるやかなネットワークでもある。
実績の比較だけなら、このようなチームは他にもあるかもしれない。しかし、そのような理念やあり方を経てきたチームは稀有であるし、私はそのあり方を愛してもいる。その尻尾に連なって看板選手の一人として撃ち続けていることは、私にとって密かな誇りである。


・・・そんなことを、電話で熱を込めて話したことを思い出す。
Mくんこそ、わがチームを「活用」できる、数少ないぴったりの選手である、と思っていた。
Mくんは(結果的に、ではあるが)チーム入りしてから、ぐんぐん強くなった。選手としては今やすっかり私の方が「縁の下」である。
今年はさらにRくんという新加入の有力選手が加わり、その観を強める結果となった。
基本的に三姿勢と10mのメンバーとしてこの大会に出続けているが、孤軍奮闘と感じることもあった頃を思えば、なんとも嬉しいことである。


そんな中で果たした今回の団体優勝は、とてもうれしい。


「クラブ対抗で優勝を狙うこと」は、Mくんが加入に当たって、チームにこうあってほしいと話していたことのひとつであった。
そのときは、小手先で狙うことはいくらでも出来るが、このチームがやるべきことを着々とやっていれば、そんなもの当たり前に向こうからやってくる、そんなことが目標のチームではない、と(格好をつけて)答えた。
答えたものの、とても気になっていた。


Mくんが、いまはその辺をどう思っているかは知らない。
でも何となく、約束を果たしたような、そんな安堵の伴うよろこびであった。


[fin]