月例会と練習


10日ほど前に、クラブの事務局から、今月は当クラブが月例会の当番に当たっていますよ、という葉書が来た。
この葉書がなかったらすっかり忘れてしまっていただろう。


何か「行かなければならない」用事がないと、射撃場に出かけにくくなっている。
これを幸いに練習もちょっとしてみよう、と2丁を担いで朝早くから出かけた。
きちんと朝8時20分までに着くと、ゲートがまだ開いていなくて、車が列を作っていた。


ほどなく管理人が鍵を開けてくれて、無事に中に入る。
2月の寒空に、記録を取ろうと出かけてくる選手は、そう多くない。
近年は、月例会当番を2クラブで受け持つことになっているのだが、明らかに世話係の当番クラブの人のほうが多い。
自ずと一人当たりの仕事は少なくなるのだが、クラブの人たちと一緒に仕事をして交流することの方に意義があるので、それは結構なことだったりする。
月に一度、いわゆる役員畑の人でない人たちが、採点機やストップウォッチやデータ処理用のPCなどを触り、射場長や回収の仕事をして、これらに慣れ親しんだり、あまり使われていない道具を引っ張り出して試運転しておくことの意義も大きい。
のんびりした空気で、射撃することの場を作ったり、撃ったりすることは、このスポーツを「楽しむ」姿として、最も本来的なものだと思うので、好きである。


50mは少し賑わいがあったが、10mの出場者は、わずかに3人。それもAR・AP・HRと3人が違う種目を撃つという、なんとも真冬の月例会らしい疎らさだった。
私は10mの射場長を引き受けた。
じっと立っているのが寒くて、マットの上でストレッチしたり、四股を踏んだりしながら2時間弱を過ごした。


クラブの仲間と、取ってもらった弁当を一緒に食べて、昼からは練習をする。
50mを久しぶりに撃ちたい気持ちも強かったのだけれど、前回のランクリスト後に、発見したことに応じてチーク周りなどをいじったので10mレンジに上がる。


後輩の現役大学生が練習に来ていて、指導がてらその中に混じって撃つ。


気になりだしていた、銃の傾きについて、調整されたチークをもとに少し試行錯誤する。
やや右に倒れる傾向があるのは、私の場合一種の必然性があるという、以前と同じ結論に達して落ち着く。


どうも、頸−肩の辺りを意識しながら、意図的なことをあれこれやると、すぐその周辺に疲れが来る。
局所的に疲れると、パフォーマンスの評価が正確にできなくなってしまうので、「一応これでいい」という結論は出したものの、また次まで保留、という感じになった。


後輩の練習を少しチェックした。下で伏射をしていた学生は、まだ構えるのが数回目のようで、弾着はおろかフォームも云々できる次元にはないのに、バカバカ撃っていたので、撃ちたい気持ちを尊重しながら、構え方などを1から作り直してやる。
でも、その通りに自分で構えられるとは私も思っていない。あくまでもフォームについては「原理」だけ教えて、「構え方」よりも、「寝転び方」、「伏せた時の銃の捌き方」など、身の捌きかた・動かし方の方を教える。


静止することを競うスポーツだけれど、実は静止させる以前の「身のこなし」というのがとても大切で、できる人は当たり前にできているので大事とも思わないが、できていない人は大抵ここができていない、ということに最近気がついた。
動き自体は、アクティブなスポーツに比べればシンプルなので、教わった方も身につけやすい(本質的にきちんとできているかどうかはまた別の話だが)。
そこがある程度出来てからでないと、「どうやって止めるか」・「脱力や緊張をコントロールするか」なんてことは、とてもとてもわかるものではない。
傍目には、何か変な体操を教えているような感じになる。
次に合宿で会うときには、彼はマスターできているだろうか。


練習後、最近の部の様子を尋ねてみると、部員全体のモラル低下みたいなものを遠因にして、深刻な状況が生まれつつあることがわかってきた。
その深刻さがいまひとつわかっていないようで、歯がゆい思いを感じながら指摘と注意をする。


ちょっと監督と協力して、外から手を入れる必要があるかもしれないな、と暗い気分で家路についた。


[fin]