CPRM・・・


週末に、HDレコーダーで録りためた番組をDVDに焼く、ということをはじめてやってみた。
それほど深く考えていなかったのだが、やってみるとビデオテープに録画して取り出すのとはえらい違いだった。


PCで使っていたDVD-Rを突っ込んでみるが焼けない。
あれ?この間ビデオからHDに落とした映像はこれでいけたのになあ、と不審に思ったところから、今回の苦戦は始まった。
CPRM対応ディスク」がいる、と機械がいうので、言われるままに買いに行ってみると、確かに売っている。


デジタル化された映像は複製が容易に可能なため、著作権を保護する目的で日本独自のガードがかけられているという。
複製のしやすさがデジタルのよさだと思うのだが、どうも他人に金儲けさせることを拒むことの方が「権利保護」として世の主流であるらしい。デジタルの長所を全否定するような仕組みだと、批判的な論陣を張るサイトを、Webを見て回るうちにいくつか目にした。
1度目の放送の広告収入などで経済的にはある程度元を取り、その後は保護に躍起になるよりも、それが広まって知られたり、活用されることの方がコンテンツの価値として大事なのではないかと私も思う。
それを使って違法に金儲けをする人たちの取り締まりは、また別の問題である。放送されているものを、二次的に活用しにくい状況を作ることは、大げさに言えば文化の後退のような気すらする。
少なくとも、商品として販売しているソフトにコピーガードをかけるのとは、少し質の違う規制のような気がする。


詳しいことはよく知らない。
ダビング10という言葉だけを聞いたことがあって、要は10回しかDVDに焼けない、ということなのだろう、とだけ理解していた。
ダビング回数からいうと確かに結果的にそうなのだが、それを実現するために、日本のデジタル放送は録画する以前に、放送の段階からCPRMという信号によってがんじがらめにガードされているらしい。
DVDからHDへのデータ再移動に禁止をかけたり、HDからDVDへのコピー回数を管理したりできるような信号が、映像信号とセットで流されている、ということのようだ。
ガードするシステムの理屈はなんだかややこしそうだが、買ってきた「対応ディスク」を放り込めば、DVDに焼く作業自体は簡単にできた。


この時点では、何かわざわざ専用のディスクを買わされて困ったことだなあ、くらいに思っていたのだが、さて、じゃあPCで観てみようか、と思ってさらに深刻な問題に直面する。
・・・ディスクの再生ができないのである。


これではディスクに焼いた意味がない。
調べてみると、CPRMデータを再生するには、ディスクドライブがハード的に対応している必要があり、さらには対応できる再生ソフトを使用しなければならない、という。
リビングから自室や外出先で取りためた番組を観たい、というのは堂々たる「個人的に楽しむ範囲」である。著作権云々を言われる筋合いのことではない。
ダビング行為自体に制限が掛かってしまうことは理解できても、その制限に従ってダビングしたものが、標準的な機器やソフトでは再生もできないとは。あんまりである。
ちょっと頭に来た。


普段使っているノートPCは時期的にぎりぎりハード的に対応したドライブを搭載していることがわかったため、ひとまずCPRMに対応したCinePlayer2という再生ソフトをオンラインで有料ダウンロードすることにする。
据え置いて使っている、古い方のXpマシンは、ディスクドライブがハード的に対応しておらず、駄目だった。
メインマシンとして使っているMacに至っては、最新だろうが外付けしようが、対応ソフトがないために再生できない。
CPRM自体が日本独自の規格なので、Apple自体が標準で装備している再生ソフトが対応する可能性は今後もずっとない。誰かが、このガードに対応することを馬鹿馬鹿しいと思わずに、Mac版の対応プレイヤーを開発してくれない限りこの状況は永遠に変わらないということだ。
ひとまず、使用頻度の高いPCで再生できたので一息ついたが、どうにも落胆と憤りを感じずにはいられない気分だった。


CDについては、世界中で信号形態や再生機について規格が統一されているようで、海外で気になるCDを見かけたら、パッと買ってホテルでPCで聴いてみるということができる。
ハンガリーに行ったときに、向こうの人とハンガリアン・ラプソディーの話になって、モチーフとなっている土着の音楽というのを聴いてみたい、と言ったら、CDショップに連れて行ってくれて、何枚か薦めてもらって買ったことがある。
私にとっては、大切な思い出なのだが、これは規格の統一があってはじめて可能だった出来事だと言える。
映像については、ビデオテープの時代、日本とヨーロッパ・アメリカには録画方式に規格の違いがあり、射撃に関する映像を録ってもらったのに、そのままではこちらでは観られないから、とわざわざ形式を変えるダビングをする手間をかけた経験がある。
それがレーザーディスクになったときには、CDのように規格のばらつきがなくなった。その時期、両親は海外旅行に行ったときに、お土産のひとつとしてLDを買ってきたことがあった。


ところがDVDの時代になって、こんどはリージョンコードというものが現れる。どの地域のDVDも原理的には再生が可能だが、その再生機をどのリージョンコードで使うのか、1回目の再生で決めて、その後は変更できない、という仕組みになった。再び垣根が作られたのである。
そこへ、さらにデジタル放送について、コンテンツを日本だけでしか使えないように、あえて孤立化を望むかのような信号のガードである。


日本での取り上げられ方などをニュース映像の録画で海外に紹介する、というような、ちょっとした映像活用すら、再生機としての自前PC持込みでなければできない。
昔ならともかく、インターネットのインフラが世界的に張り巡らされ、それを活用することが当たり前の時代にである。
(別の簡単な方法が、ひょっとしてあるのかしら?)


画質の調整を映像信号自体に対して行う、VIEWGATEなどのビデオスタビライザーを使って、プロテクトはずしのようなことをしなければ、ローカルな規格に振り回されることなく、どこでも再生できる映像情報にできない、というのは、深刻だと思う。
非常に悪質な手法、といえるようなものを身近に引き寄せることにさえ、寄与しているように感じてしまう。
技術の進歩が利用の快適さにつながらず、一部の権益のための不自由さばかりが増しているのではないか。
素直に著作権保護に必要性を感じる心情に水を差し、言いなりになることが馬鹿らしい、という空気をせっせと作り出しているようで、おかしいように思う。


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