再び大変な一日

北京空港の搭乗口



成田行きの飛行機は予定通りに北京を離陸した。


手荷物検査では、またまた複数の選手が、工具やらマイクロサイト・スタンド・バットプレートなどを開梱してチェックされたのだが、別カウンターまで行って確認を受けると通過することができた。一応はらはらしながら、別カウンターに付き添って、選手の前で繰り広げられる、空港職員同士のやり取りを遠目に確認する。


国際線とはいえ、わずかに3時間程度のフライトだが、機内食の朝食に舌鼓を打った後は、日本上空まで何も覚えていない。
入国手続き用の用紙には、持ち込み物品に「銃器」・「弾薬」を輸出許可証の通りに申告するように言う。
ARの弾の扱いについても、おそらく取られることになるから、素直に開けて渡すようにと伝えた。


この機内の時点でおそらく気がついたのだろうと思うが、ラゲッジクレームに降りるエスカレーターで、B君から「実は輸出許可の書類がありません」と切り出された。
Fさんと私は、おそらく心中で同時に「最後の最後に、来たー!」と叫んでいたと思う。
銃器の出入国に当たって、考えうる最悪の事態である。
本人から状況の聞き取りを進めつつ、他のメンバーで荷物のピックアップ作業を続けた。


書類の原本が出ない限り、銃はここで置いていくことになり、再発行か新たな輸入手続きを始めねばならないだろう。
B君の言う、北京の手荷物検査場で開けられた際にかばんに戻らなかった、というのであれば、そこから見つけ出されることしか、手はない。
税関の係員に事情を話すと、その書類にはコピーはないのですか、と言う。
ひょっとするとコピーが出てきたら、今日この場であればそれで出られるかもしれない、という期待が生まれる。


ほかの選手はひとまず出国手続きを済ませ、外で待機させることにする。
待つ間も、日録を仕上げたり、荷物を発送したり、携帯の海外用端末返却など、することはいろいろある。
ここからまだ関西組は陸路を帰らねばならない。
着いたのは12時半だが、長期戦を覚悟する。
選手たちにはその時点では言わなかったが、午後4時までは頑張って、駄目ならそこで打ち切って銃を置いて帰るしかないな、と一応の予定を心中で決めた。


JALのカウンターの担当者はとても丁寧で熱心な方で、北京の方に問い合わせをしつつ、ほかの紛失可能性についても順を追って確認して順次当たってくださる。
私が国体組と出国した際の手続きをひとつひとつ思い浮かべていると、機内預かり手続きの最後でエージェントから受け取った書類を私に手渡す前に空港の職員がコピーを取りにいったことを思い出した。そのことを話すと、確かにそういうことを一般的にJALではやっている、ということがわかった。
エージェントに問い合わせてみても、海外の航空会社はこの手の書類のコピーを取ったりはしないが、JALは取る習慣がある、それは出てくる可能性がある、と言われた。


税関の担当者が、コピーでも出す、と当座の結論を伝えてきたので、出国時の状況を説明して、必ずコピーがあるはずだ、とJALに説明すると、これも探しにかかってくれた。
まだ北京に残っていたTさんたちにも連絡を取り、空港に行って問い合わせをしてもらうように頼んだ。
時々経過が伝えられたり、説明を求められるのに応えたり、ということがあるものの、基本的にはベンチでB君、Fさん、私、でただひたすら待つ。


芳しい情報はない。出国時の書類のコピーは、私が出国したときの6日の分は出てきたのに、5日の分がどうしても見つからず、北京からは、JAL内の連絡でも手荷物検査場から拾得物の情報は得られない。空港に駆けつけてもらったTさんからも、いい情報は得られず。


最後は、5日の出国時の書類コピーの存在しうる場所を、JAL内でひとつひとつチェックしていくのを待つ格好になったが、4時前に、今日調べうるところからは見つからないことが判明してできることはついになくなった。
後日、銃を取り出す手続きには、やはりコピーではだめで、正本の書類がなければ駄目であることが税関の担当者から正式に伝えられた。まあ、そうであろうな、と思う。


保安区域の倉庫で銃を保管してもらう手続きをすませて、3人はやっと日本に「再入国」した。
協会やエージェント、B君の大学チームのコーチなどに報告を入れ、今後の対応について依頼をする。


事の重大さは、この様子を何時間も横で見ていれば、B君にもよくわかったであろう。
もう一度経済産業省と手続きをして、書類を発行するのであるから、それ相応の時間が必要である。経緯が経緯だけに、新規に申請する以上に時間がかかっても文句は言えない。かわいそうではあるが、彼は月末に迫っているインカレには出場できない可能性が高いな、と思う。


選手たちは全員、食事などをしながら待っていてくれた。
手短かに解団式をして、お互いに労をねぎらってから、解散した。


関西に帰る選手たちと、東京駅までのリムジンバスの切符を買って、発車時間までの短い時間で慌しく携帯端末を返却し、軽食を買い求めてからバスに乗り込む。
なんと長い2日間だろうか。しかも、終わったような終わっていないような、微妙な幕切れ。
家に帰り着くのは深夜になるだろう。


ようやく成田から東京に向かう。
ありふれた夜景が流れていくのをぼんやりと眺めながら、それでもそれが北京と似ているようで全く違うことにほっとして、長い遠征が終わろうとしていることを実感することができた。


[fin]