大健闘と歓喜

北京のファイナルスタンド



5時20分に起床予定だったが、5時前に目が覚めた。
今日は、朝から女子の50m三姿勢、その後50m男子伏射競技が行われる。
5時55分に、先発する女子4名と部屋の前に集合。
朝食を摂って、6時半のバスで出発した。


射撃場には7時ごろに到着。今日は銃器保管庫と弾薬保管庫はすぐに開いて、必要なものはすぐに取り出せたが、射撃場のドアが開かない。
選手と射場役員が荷物と共に列を作って待つが、7時半に開けます、と射撃場側のスタッフに言われて、ただ座り込んで待つ。
7時半を過ぎてようやく扉が開き、選手は射座に散っていった。


選手の様子と、風の具合と弾着とを見比べ、いろいろ想像しながら戦況を見守る。
簡潔に言えば、風のない序盤・風のある中盤、ふたたび風のない終盤。
伏射はしっかり準備さえできれば、どんどん撃ってしまって正解。立射は、徹底的に風の目を待ってじっくり撃つのが正解。膝射は射手毎の展開の速さによって異なるが、伏射と同じ作戦をとれる状況だった。
ざっと60人強の出場選手を見渡して、そういうコントロールができる選手が約半分、という感じだった。
ほぼそのように頑張っていたN選手の、8位に1点及ばずの9位は、大変惜しかった。
しかし、これは直前の調整で出していたスコアの通りでもあり、この点数ではギリギリ届かないだろうということも本人、私ともに了解していたので、納得しつつ悔しさをかみしめる、というところとなる。


第2陣の男子選手が到着して、それぞれに準備を始めた。
今大会、この種目については団体での上位入賞、あわよくば優勝を狙って編成してきたチームである。
期待とそれゆえの緊張感が湧き上がる。


にこやかに3人の選手の射座を巡りながら、朝からの風の移り変わりについて、それぞれの選手の状況に応じて少し話す。
ほどなく試合が始まった。
全般には穏やかながら、弾着に影響する風が時折吹き抜けるシチュエーション。
この種目のエース格であるK君は、ごく稀に撃つべきでないところで撃ってしまうこともあったが、しかしよくコントロールして最後まで撃ち抜いた。


K君は最終100で締めて593、H君が585、ほぼ同時に撃ち終える。戦況を見渡す限り、K君は首位か。
もう一人のI君は前半がんばるも後半少し崩れて、582。
K君は同点シリーズ負けの2位でファイナルに進出することになった。

ようやく我々も、向かい側のファイナルステージ用の建物に「用事」ができたことになる。
それどころか、メダルはもちろん、優勝の可能性まである。
チームの雰囲気が、ぱっと明るく活気づき、ムードが一変する。
やはり、こういう状況にならなくてはいけないなあ、と改めて感じる。
いいニュースはすぐに、と言われていたので、日本のライフル協会にはFさんがすぐ電話連絡を入れた。


ファイナル出場者には、ファイナル銃検からファイナル開始までのタイムスケジュールの書かれた黄色い紙が渡され、スタッフが1名付き添って案内をしてくれる。
まずはそれに付き従って銃検会場へ向かう。
検査は順調に終わり、次は決勝選手控え室へ移動する。ファイナル会場へと続く通路を私とFさん、選手強化の学生スタッフでもあるS選手が付き添って一緒に進み、準備を手伝う。


1位進出は、スイスチームの選手。一緒に万里の長城に行って以来、親しくしていたスイスチームコーチのペーターさんと、控え室の前で名刺を交換したりして、改めていろいろと話をする。
決勝会場では、選手について一人だけ、射座のすぐ後ろのコーチ席に座ることができる。
ペーターさんに並んでそこに座らせてもらう。
何という、貴重な経験をさせてもらえることか。


決勝会場はインドアなので、風もなく光も一定。
簡単なことではないのが、しかし持っている技量を十全に発揮してもらう以外には、何もない。
K君は、こうして国際大会に一緒に来られるようになるまでに、同じ関西で、地方の強化合宿からいろいろはっぱを掛けて来た、とりわけ私にとって思い入れのある選手であり、こうして真後ろで見守ることになった、ということだけで、胸がいっぱいであった。
何かあってもコーチに対応を委ねられる、と選手が安心感を感じられるよう、そういう空気を醸しだすことくらいが、後ろに座っている私にできることである。


ファイナル競技前に、競技役員からK君の据銃姿勢にチェックが入り、ハラハラする。しかし、役員の中に永井さんがいて、K君への説明をしてくれたために助かった。
競技開始後、K君は初弾から数発はトップを走っていたが、やがて微妙に中心を外して2位が続く。
7発目で、K君の標的だけ得点の数字が小さく表示される、トラブルとまでは言えないが少し気になる現象が起きる。
本人が気にしているかどうか、気にしているならすぐ役員に声を掛けようと様子を伺う。気にしていないなら、流れを切らない方がいいのか、と迷う。
気にする気配が明確に感じられないまま、次弾に移った。


・・・8.9。


私は思わず天を仰いだ。
失敗した。やはり切った方がよかったか。心のどこかで引っかからない訳がない。しまった。
この1発で3位に後退し、さらに落ちる危険にも晒されたが、最終2発を何とかセンターに放り込んで、そのままファイナルは終わった。


しかし立ち上がって戻ってきた本人は、悔しさよりも満足感が勝っている様子だった。
選手同士、コーチ同士で握手を交わし、健闘をたたえあう。
優勝したのはスイス。
お互いに知った顔の活躍に、日本スイス両チームで、スタンド最前列で喜びを爆発させる。


会場を出て、成績表を取りに行くと、なんと団体も銀メダルとわかり、さらにチームみんなで大喜びする。
3位の中国には同点シリーズ勝ち。
早速、最終成績を携帯の写真メールも使って、日本の協会に報告をした。
昨日の成績があんまりな順位だっただけに、協会側もうれしさの一方で、ほっとした様子だった。
私もFさんも、ここ数日の苦労の後でついにやってきたうれしい瞬間に、一気に肩の荷が下りたような心地がして、溶けそうになる。


これまで、ああ、やっているな、と遠目に映る風景のひとつでしかなかった表彰式に、チームみんなで臨む。
メンバーの誰かが関わらねば、だれも味わうことのできない体験である。
3人に感謝し、こうなったことに関わったあらゆる要因に感謝する気持ちだった。


表彰式が終わると、明日に向けての練習に入った。まずは明日に50m三姿勢を控えた男子、その後、伏射に備えての女子の練習となる。
今日出番のなかったB君の不調が目につく。命令にならない形で、練習内容の変更を幾度か提案するが、どうも冷静に聞き入れられない状態になっていて、静観を余儀なくされる。
男子の練習時間が終わったところで、明日の出番がないK君を残して男子はバスで帰し、先に食事を摂って休養させた。


女子の練習も終わろうか、という頃に、日本から今回の派遣に関して「総監督」の役割を果たしてくださっているTさんが到着。
Fさんが依頼していた、書類やこちらでお世話になった人たちに配るプレゼントなどを受け取った。
ここまでの状況などを報告して、いい結果については喜び合う。


残ったメンバーは18:30のバスで帰ることになったが、道中ちょっとした渋滞に巻き込まれた。
7時20分に夕食。先に食べた男子と合流して8時にミーティングをすることにする。
ミーティングに先立って、7時40分にボランティアのSさんが来てくれて、明日の打ち合わせをした。チェックアウトの具体的な内容や、明日は私たちですることになっているランチボックスの受け取りの方法を確認した。
Sさんもミーティングのはじめに参加して、清華大学のピンとしおりを選手全員にプレゼントしてくれた。


ミーティングではまず翌日の予定を説明。Tさんに持ってきてもらったプレゼント類を渡す人たちで分け、忙しくなりそうな明日から明後日までの段取りもおおまかに説明する。明日の夜はおそらく寝られないことを伝える。


会計記入の書類は、Tさんに持ってきてもらったものでも整わないことがわかり、この遠征中の作成は断念する。


ミーティング後に、Fさんと事務局に赴いて、メールボックスで促されたチェックアウトについての確認を行い、帰国のためのバスについて尋ねる。
帰国便の出発5時間前、午前3時発とのこと。台湾チームと我々が、先陣を切ってここを去ることになる。
チェックアウトのカウンターは24時間開いていると聞いて安心する。
銃器のチェックアウトについては、夕方に今大会の出番の終わったK君Aさんと最終入庫した際に、窓口で逆に何か特別な手続きがあるのかと訊かれるような状況だったことを説明した。明日事務局のスタッフが同伴して再び手続きをしてくれることになった。


ようやく終わりが見えてきた感じである。
Fさんと、あとひと頑張りですね、とお互いに声を掛けて部屋に引き上げる。


[fin]