厚い壁

AR射場の様子



5時20分に起きて、5時55分出発の準備を整えて集合する。
メールボックスに、銃器管理の徹底を訴える文書と、バスの乗車や銃器のチェックアウトについての文書が入っていた。
銃器のチェックアウトについては、銃器管理の徹底とワンセットの指示と読めるが、「帰国24時間前までにしてください」という期限の指定だけ明確で、何を具体的にしてほしいのかがいまひとつよくわからない。また事務局に聞きに行かねばならなそうである。


実際のところ、日本チームは帰国24時間前に「チェックアウト」などできない。
帰国にあたってもかなりの強行スケジュールが組まれていて、朝8時台の飛行機で北京の空港を発つのである。
24時間前は最終日の試合「前」である。
帰国にあたって銃器保管庫から銃器を取り出すのは、深夜というか未明の午前3-4時ごろになるはずである。
その時にせねばならない「徹夜の分秒刻み」を想像すると、今からまた少し気が重い。


6時から朝食をとり、6時半のバスで会場に向かう。
射撃場には7時10分ごろ到着した。弾薬保管庫・銃器保管庫ともに7時25分ごろまで開かず、列を作って待つ。その後は順調に準備ができた。


選手たちがどう感じているかは、正確にはわからないが、さほど国内と変わらず試合に臨めているようである。
私は、初めてワールドカップで射線に着いた時、平静をよそおって自分でも緊張に気がつかず、大失敗をした苦い経験がある。
その後、数回とはいえ海外で試合に出た経験というのは効いているような気がするが、どうだろうか。
監督として試合前のすべきことは済ませてしまうと、ゆっくり後を歩いて回りながら、今選手だったらどうだろう、とわくわくする気持ちで試合開始の瞬間を待った。


男子の10m立射競技は予定通り8時半に開始した。
視察に来たKさんNさんが9時過ぎに到着した。出番のないH君に迎えに行ってもらう。


気がかりなのは、ボランティアのSさんと体育省の課長との電話交渉の行方である。
観戦したいと伝えてきている、次の回転に出場する選手の父は、中国で長く働いてきた方で、この地で自分で様々な困難を切り開いて来られた方である。
昨晩遅く娘の連絡を聞いて、わかったわかった、でも多分何とかなるよ、射撃場までは行ってなんとかするから、とおっしゃっていたそうで、彼もおそらくもう近くに来ておられるはずである。


そこへ第二陣の女子チームが到着。Fさんから、いいニュースです、と真っ先に朗報が飛び出した。
ID発行を前提に観戦に許可が出た、という。発行までの間使ってもいい、という臨時のIDまで必要数分出た。
嬉しさの反面、何だかなあ、と引っかかりもする。Sさんには本当に頭が下がる。すぐにこれを渡さねば。


Fさんが選手から彼女の父に電話をしてもらってIDを手にゲートに向かうと、なんとすでに父はゲートで散々やりあった挙句、突破して会場に入って来ていた。現地法人の運転手さんも一緒だ。
IDを渡すと、えらく恐縮された。
「いやあ、最後どうしてもダメなら、まあ100元も渡せば何とかなると思ってましたよ。」
さすがである。私たちは正攻法を取らないといけないから同じ真似はできないけれど、お話を伺っていると、一緒に壁を越えたような愉快な気分になった。


さて、試合も終盤の男子だが、成績は相対的にひどいものだった。
もちろん各自のベストのスコアからは遠いが、実力的には事前にある程度予想していた点数で、今大会に限って悪かった、というわけではない。、驚きはしないが、現実を受け止めてしっかり身に沁みてもらうしかない。


女子の10m立射競技が、予定通り10時45分に始まった。
スタートと同時に、電子標的が全的停止する、という操作上のミスが起こったものの、大きな混乱にはならずに試合は進んだ。
昨日練習で動作不良を起こしたので少し心配していたM選手の標的は、男子の回転で順調に作動していることを確認したので、これも心配はない。
こちらは、N選手には入賞の力が十分にある。まだ未知数の部分の多いA選手にもひょっとすると、という期待を掛ける。


結果的にはN選手が入賞に1点及ばず14位。得点と順位の関係は、事前に立てていた考えの通りで、終わった時に点数を見て、惜しいけれどギリギリ入賞できない点数だろう、と思ったらやはりそういうことになった。本人もその辺はよくわかっていて、シチュエーションよりも自分のスコアに対して悔しさを感じていた。それでいい、と思った。
3人とも事前の合宿などで出していた点数どおりの結果で、力の発揮方法というより、もう一段の力が要る、ということなのだろう、と思う。
他の二人も、力は出せている、実力がこの通りなのだ、もっと頑張らないとダメということ、とよくわかっていた。
この辺りは、女子の方がサッパリとよくわかっている感じがする。(それとも男子はストレートに考えていることを表現していないだけだろうか?だったらいいのだけれど・・・、何か「もっとうまく行けば、いい結果になったはずなのに」というような未練のようなものが感じられるのだなあ。)


他の国のチームは、実にスマートに試合会場で過ごしているのだが、いったいどこで昼食などを摂っているのだろう、と疑問に思っていたら、Fさんが「どこかの書類で各チームにラウンジがある」という記述があったんですよね・・・と言う。私が読んだ中にはなかったなあ、と言いながら、射撃場のボランティアスタッフに尋ねると、今まで足を踏み入れていなかった、射撃場へのエレベーターや通路の奥に、各国に1室ずつ割り当てられたラウンジを発見した。
外から見えるところに国旗を掛けているチームがいくつかある。
なるほどなあ、チームが遠征慣れているかどうかというのは、こういうところに表れるなあ、と感心する。
2日目の昼になってラウンジを探している我がチームの有様は、(成績とは別に)遠征スタッフのノウハをうまく伝達できていない「お国柄」の一面を如実に表していると、少し情けなく思う。


試合後、午後はまず男子が50mのトレーニングを行い、その後引き続いて女子が50mのトレーニングをする。
男子は明日、「勝負種目」の伏射競技である。割り当て時間通りのバスに乗れ、という指示も出されているところである。明日に備えて片付け終わると同時に、先に15:00のバスで帰した。


女子のトレーニングが軌道に乗ったところで、朝に受け取った書類にあった「銃器のチェックアウト」についての質問と、そこでも触れられている「弾薬」についての(一切再持込ができない、という)わが国の特殊事情を説明するため、射撃場内の事務局にFさんと向かった。
銃器を最終預け入れする際に、書類で確認手続きが要る、というのだが、すでに預けている書類の内容を税関に連絡するのに、なぜ銃の最終入庫を待つのかがわからない。具体的に何を確認したいのか、その辺りを尋ねなおしてみるのだが、どうも要領を得ない。24時間前が無理という事情はよくわかってくれたので、最終入庫の際には、必ず(何だかよくわからないけれど)「確かめる」ようにする、とだけ約束した。弾薬については、そんな国があるのか、と驚かれる。何回行っても、何年たっても驚かれるのだろう。弾薬は窓口で引き受けもするし、数字だけ合わせてくれればいい、ということだった。


女子のトレーニングが終了する。
同じ頃、明日観戦できることになった選手の一家が射撃場に到着した。正式なIDを発行するために必要な写真を撮るため、来てもらうようお願いしてあったのである。
選手が一家の皆と顔立ちがよく似ていて、驚いた。
そんなこんなで、ホールでバスを待つ時間を過ごしていると、清華大学の学生レポーターに女子選手たちがインタビューを受ける。大学の新聞局だというが、見ているとそれぞれの国のチームに、それぞれの国の言葉で取材をしている。
何気なく見えることだが、清華の知的水準の高さにうならされる。この他にも、ときどき試合風景の撮影にカメラマンが回っているのを見かけるが、その撮影機器の扱いも半端ではない。


5時20分から夕食を摂り、6時半からミーティングをする。
1日目を終えて、試合については、各選手の基盤となっている水準の実力通りの結果が出ただけだ。それも出ない「失敗」だって考えられるが、そこはしっかりクリアできている。相対的には厳しい結果だが、そこは現実を見つめねばならない。
ない力は出ないが、「基層」から「自己ベスト」まで突き抜ける努力や工夫はできるし、そこまではしっかり頑張ってやり尽くして帰ろう、と話す。


ボランティアのSさんが7時過ぎに部屋に来てくれた。
まずはあらためて昨晩から今朝に掛けての尽力に深く感謝する。
その傍らで早速、残る観戦希望者用の正式ID発行を申請する書類の作成に取り掛かかった。約束していた8時までに何とかデータを事務局に送り終える。
データが届いたことを事務局に確認に行き、そこでSさんとは別れた。これから閉会式の練習があるのだという。
大会スタッフには本当に頭が下がる。


選手たちは、韓国チームと仲良くやっているようで、部屋に集まっては賑やかにやっている。
様子を見に行って話を聞くと、羽目ははずさず、時間についてもコントロールできているようなので安心する。


今日は、成績の報告メールだけメールすれば業務終了。はじめて給湯時間を気にせずにシャワーを浴びることができる。
お茶を淹れて一息つき、湯を浴びて10時すぎに寝た。


[fin]