公式練習と苦しい交渉

開会式の様子



宿舎前に午前7時半集合なので、6時半に食事に行く。6時20分に部屋の前に集合して、短いミーティングをした。
昨夜事務局に聞いた内容を伝達する。


ランチボックスはボランティアのSさんが受け取って届けてくれる、というがその場所や仕組みがよくわからなかったので、朝食後、レストランのスタッフに尋ねて、1階を見に行ったりする。
エレベーターの混雑でスーツケースがあったにも関わらず階段で降りる。


大学構内の講堂前の芝生に移動するだけなのだが、満席のバスを使う。随分と広い大学で、確かに歩くと少し時間がかかりそうな距離だった。
キプロスの選手と隣り合わせになり、少し話した。昨日一緒だったスイスチームはライフル選手だけで日本とそっくりだったが、キプロスはクレーだけだという。離れた席同士で陽気に言葉を交わしていて、なんとなく雰囲気が違う。お国柄というより競技の違いもあるかもしれない、と思う。


食事会場で少しずつ見かけていたが、開会式で初めて参加の全容を目にする。
永井さんとも一緒になり、式典までの合間にいろいろ話を聞く。この大会の開催に至るまでの経緯については、なるほどと思う話がいろいろあった。
ISSF派遣役員による「公式」競技会の態勢が今回ようやく整ったようだが、そうするにあたってかなり無理もしているようだ。
昨日のテクニカルミーティングについても、話が聞けた。事務局のスタッフが話したとおり、何もなかったようだ。よかった。


式典は、プログラムとしては入場行進、国旗の掲揚・国家の演奏、ISSFや大学、中国の体育協会の挨拶、というシンプルなものだったのだが、会場となった講堂前の広場が芝生に映える立派なもので、そこへドカーンとメタリックの紙吹雪が号砲とともに打ち出されたりなんかもして、印象的なセレモニーだった。


若干スケジュールより遅れ気味だったが、10時ごろにはバスが移動をはじめ、私は公式練習第一陣の女子選手に同行して射撃場へ向かった。
公式練習は予定通り11時にスタートした。
第二陣の男子たちは11:30のバスで12時ごろに射撃場に到着。


AR女子公式練習・AR男子公式練習、女子50m公式練習、男子銃器検査、男子50m公式練習、女子銃器検査、と一日は進んでいった。
それぞれ要所要所に立ち会って、助けることが次々とあって、とても忙しい。選手の様子は、ひとことで言えば、好調な女子、不調の男子、といったところか。
試合日程と練習時間をにらみながら、それぞれに助言を入れる。


銃器検査は、スタッフの立場からは、ひとつの山場である。
50mだけの出場となるH君に検査の先陣を切らせ、同行する。
省略なしの完全な検査。ジャケット・パンツの堅さ検査は、裾はもちろん首周りまですべてのパーツをカタンカタンと計測する。1着10箇所以上のポイントを見る。
事前の合宿で徹底的に対策をやらせておいてよかった、とほっとする。
検査器のわきでは、通過できなかった韓国チームの女子選手のジャケットを囲んで、コーチや選手が悪戦苦闘していた。
前合わせのチェックも、ギアがついたバネ秤のようなツールで厳密に計られた。
モンゴルの女子選手がどうしても1cm通らなくて、インナーをチェンジして辛うじて通過したり、とこれもきっちりとやっている。


ところが、うちのチームの女子選手が検査を受ける頃になると、随分検査がいいかげんになったようだ。
検査官が疲れてしまったのだろうか。
話を後で聞くと、はじめの方で検査を受けた選手と夕方に受けた選手では、随分と今回の銃器検査の印象が違った。
全選手が問題なく検査を通過して、ひとまず安堵する。


5時15分に全公式練習が終了した。片付けは5時45分のバスに間に合ったのだが、バスが満席で乗り込めず、6時のバスで戻った。
メールボックスには早速、明日のスケジュール変更が入っていた。もはや、大会要項にある予定は跡形もない。
選手村には7時過ぎに到着し、7時半から夕食。8時半にはミーティングをする。
予定を伝え段取りを確認した。選手からは、親族の大会観戦について質問を受けたので、事務局に確認に行く約束をした。


ミーティング後、事務局に観客の見学について、問い合わせに行った。
つい先日のオリンピックで観客がスタンドいっぱいに入っているのを映像で見ていて、その同じ会場で行われる「世界大学選手権」である。
開会式について、すでに選手の家族の見学方法について問い合わせていたので、それほど難しいことと思わずに行ったのだが、これがとんでもなかった。


「それは無理です」と言う返事。
「IDのないスタッフ以外は会場には入れません」
「IDの手続きについては事前に要項に書いてあったはずです」
たしかに、選手とチームスタッフ以外で入場が必要な役員(Official)について、IDを発行します、という一文があったので、日本チームも視察に来る3人分について選手やチームスタッフ以外にIDを申請して、それはすでに受け取っている。
しかし、選手の家族などはOfficialではない。Audienceだ。どうその一文を読んでも、そもそもIDの発行の対象ではない。
では、観客は一切会場に入れない大会だということなのか、とFさんに尋ねてもらうと、
「そうです」と来た。
え。無観客試合だったのか。
それは、事前に「無観客試合ですか」と尋ねるのがマナーだ、と言っているのだろうか。それが国際常識なのだろうか。


ついこの北京の直前にあった大分の国体では、近隣の小学校が、校外学習のひとつとして次々と会場を訪れて、試合に歓声を挙げていった。
微笑ましく彼らを迎え、この中から、射撃をしたいな、という子が出てきて欲しいな、と一生懸命説明したりもする。
しかし、射撃というスポーツは、銃器を使っている現場であるので、日本でも不特定多数の観客がたくさん試合会場に来ることについて、警察などは本来快くは思っていないだろう。
そこを、人々に射撃スポーツへの理解を深めてもらおうという思いから、射手の管理や運営の工夫で、できるだけたくさんの人に観にきてもらえる環境を作っているに過ぎない。


今回が中国だから、というのではなく、ワールドカップなど、大会の開催について一定の慣れや「一般常識のようなもの」が確立されている試合でない大会については、観客の扱い方については、まずそういうものかもしれないと思って、かかった方がいいのかもしれない、と思った。


しかし、今回はそんな悠長な話ではない。明日朝から試合が始まり、その最初の出番にだけ出場する選手の父が娘の晴れ舞台を見ようと大連から北京にやってくる。
明後日から出場するもう一人の選手は、すでに日本から5人もの家族連れで旅行を兼ねて北京入りしている。
あっさり、会場には入れませんと断れるような状況ではないのだ。


無観客の理由を問うと、予想通り「身分の明らかでないものが、銃器の近くをうろうろする状況を作れば、市民の安全が確保できないから」という返答だった。
Audienceがダメだというなら、OfficialとしてIDの申請をする。必要な情報は集めてあるから、すぐに手続きを始めてくれ、と詰め寄る。
「え、それは・・・」という反応だったが、
「身分が明らかにされていることを示すIDを所持していれば、場内に入ることに問題はないのでしょう、まだ1日の猶予があるのだから、発行の努力をしなさい」と、日本語を話す時には見せないキャラクターでFさんは、はっきりと言って、ひとまず事務局を後にする。


さて、状況はまったくよくないが、啖呵を切った以上、ID申請用の情報は必要になったらすぐに出せるように確保しておかねばならない。
Web上に置いてある、3人のエキストラIDを申請した時のデータを取り出すため、部屋でネットを使えるよう「1階」にネットサービスの申請に行く。
ほどなく接続に成功。すぐに書式を取り出す。
その一方で二人の選手には、それぞれ厳しい状況を伝えた。


ボランティアのSさんが8時過ぎに部屋に来てくれた。事情を知ると事務局に対して独自に交渉を始めてくれる。
しかし、浮かない顔で程なく部屋に戻ってきた。
Sさんがネイティブで問いただして帰ってきた返答も、射撃場の管轄が射撃連盟でなく事務局でどうにもできない事象であること、市民の安全確保の観点から、IDのない者の射撃場への立ち入りについては当局が認めないこと、IDの発行については事務局だけで判断できることではないこと、ということだった。
Sさんの問い合わせにも反応が変わらないとなると、どうも形勢の逆転はかなり難しい、と判断せざるを得ない。
それぞれの親族の状況と、「厳しい状況」を伝えた時の二人の様子をSさんに話すと、さらに厳しい表情に変わり、このままでは引き下がれない、と再び交渉に向かってくれた。


すでにある3枚のOfficial用IDは、明日はまだ2枚しか使う予定がないため、明日だけが出番の選手の父だけならば、このIDで「成りすまし入場」させることが可能だが、5人の親族がもう北京まで来ている選手については、状況が変わらなければ観戦させることは不可能だ。
一方の家族は観戦が無理なのに、もう一方の父だけごまかしで入場させるのは、あんまりである。
苦渋の決断だが、すでに先ほどは「入場させられそうだ」と伝えてしまった明日出場の選手にも、5人の親族が来ている選手にも、ぎりぎりまで交渉してみるが絶望的な状況である、と伝える。二人ともショックを隠せない。


親たちにその悲しい事情を伝える選手たちの姿に、打ちひしがれる思いだった。
私たちは、万が一の可能性に備えることのほかには、その無念を聞いて、少しでも気持ちを和らげてやることしかできない。


Sさんはその後、ときどき私の部屋にいるFさんに内線電話で細かい情報の確認を取りながら、3時間も交渉を続けた。結果、射撃場を管轄している体育省の課長に、明日朝直接に電話できるところまで漕ぎ着けた。
その交渉力と粘り強さに、驚くとともに深く感謝する。


Sさんは、12時前に寮に帰っていった。
明日第一陣の男子選手は5時55分に集合して朝食だ。
穏やかならぬ心境のまま眠りにつく。


[fin]