衝撃の一日

万里の長城



7時半朝食。
先発隊が銃器を預けるために射撃場へ8時半出発することになっていた。
射撃場に銃器を預けられるようになったのは昨晩からだったようで、私たちより早くついたチームは、なんだかよくわからない倉庫に銃器を保管しに行っていたらしい。射撃場には近づけない状況だったということだ。トレーニングがなくなるのも無理はない。


朝食で永井さんを見かけた。ISSFの審判員として来ているのだそうだ。心強いことである。
8時に国体組はミーティングして、パスポートのコピー、所持許可証のコピーなど回収。元への換金について相談する。換金は昨日チェックイン手続きをした、寮の事務カウンターに銀行が出張してきてできるのだそうだ。


9時から再び手伝いに来てくれたボランティアのSさんととともに、ID発行手続きやFISUへのエントリー料の支払いをした。FISUの窓口はJOCから派遣された西村さんだった。少し話ができた。
手続きが終わったのは10時過ぎ。


何もない昨日、どう過ごすかでコーチのFさんは随分頭を使ったようだ。
今日は先発隊は銃器預け以外に予定がなく、われわれ2次隊もID発行が最大の案件で、それも午前で終わってしまう。
安全に、しかし精神的に腐らずに試合までをうまく過ごさせるには?と思案して、今日は日本人向けのミニツアーを利用する手配をつけておいてくれていた。
ちょっとした行動力がないとできないことだ。妥当な判断に感謝する。11時にJTBの貸切の小さなバスが来て2隊が落ち合い、昼食と万里の長城と王府井を6時間程度で巡る、という予定。


門のところで選手が集合するのを待っている間、スイスチームが集まって困った様子をしている。
コーチとおぼしい人が近づいてきて、どうするのかと尋ねてくる。練習ができなくなってしまったので、グレートウォールを観に行くのだ、と話すと、我々も今日はどう過ごしたものか困っていて、できればグレートウォールを観に行きたいのだが、どうしたらいいだろうか、というので、ツーリストに電話して相談してみたんだ、バスを借りていて席に余裕があるから一緒に行けないか聞いてみるよ、と答えた。
コーチのFさんがツアー担当者と交渉してOKとなったので、2チームで行動することになる。


選手たちが他国の選手と交流することも、今回の遠征の大きなテーマであったので、ある意味では願ったりかなったりでもある。
昼食で席を混ぜて一緒に中華料理をつつくと、選手たちはみなすっかり仲良しになった。
ただ、ツアーは日本人向けで、ガイドさんは日本語が達者だが英語ができない。
ガイド内容はスイスのコーチに私が四苦八苦して英語に通訳し、それをコーチがチームメイトにドイツ語にして伝える、という、ちょっとした伝言ゲームが車内で続いた。


少し買い物もして、渋滞にはらはらしたものの、夕食時間には間に合わせて大学に戻った。
食後、9時過ぎにミーティングをする。


選手の一人が、部屋に落ちてたんですけれど、と英文のペーパーを差し出す。
彼の部屋には私もFさんも行ったことはないので、変だな、と訝しく思う。何かの拍子にその選手が私たちの資料を何かと一緒に持っていったのだろうか。
その紙も含めて、翌日の予定を、資料をつき合わせて確認しようとするが、どうもおかしい。いろいろな時間やバスなどの番号が資料の間で食い違う。
さらには、来る前から頭に入れて、着いてからも大会要項として新しくもらった冊子で確認していたテクニカルミーティングの予定が、その紙では明日ではなく、なんと今日の夕方に変わっている。


何が何だかわからず、とりあえず30分後仕切りなおす、と伝えて散会。
すぐ大会事務局に紙を持って事情を聞きに行く。


選手が拾って持ってきた紙は、変更された予定を伝える紙で、各国の適当な一部屋に1枚渡した、と涼しい顔で言う。
これには頭にきた。
こんな重要な情報をなんて伝え方をする、しかも選手は戻ってきてから落ちていたと言っていた、手渡ししてないだろう、と尋ねると、ノックして反応がないときはドアの隙間から入れた、と言う。
冗談ではない。昨晩というか今朝、午前2時にも事務局に出入りして、9時からもID発行で散々事務局や受付で話をしていて、なぜ話題にしない。
しかも昨日受け取った大会要項の全面書き換えだ。種目の開催日程まで変わっているのだ。
出席できなかった国がいくつもあったろう、と聞くと、何カ国か出席がなかったようです、と来た。


連絡の伝え方として問題があったと反省しています。なので、メールボックスを用意しています。
と言う後で、他のスタッフがプラスチックの引き出しを袋から出して、積み上げているのが見えた。


はー・・・。これは彼らの責任ばかりとは言えない、と思った。
彼らは、大学生のボランティア集団だ。
ノウハウの何もないところから準備して、ままならない国の当局が押さえる射撃場を会場に一大国際競技会をやろうとしているのだ。
ここに、「大人」の姿はなく、すべてが学生。しかもおそらく射手でもない。
この実働部隊に、ぎりぎりまで情報を下ろせずに、おたおたとしている中枢が他にあって、そこで深刻なドタバタがあるようである。
チェックしておくべき掲示板、というのがあって、それを見ていれば我々もこのようにならなかったこともわかり、(それがどこにあるか教えらえなかったことは恨めしく思いつつも)それは反省する。
ここに滞在してまだ20時間ほどだが、ようやく建物や部屋の配置、人の流れなどがわかってきた感じだ。


監督として初めて遠征を率いてやって来て、いきなりテクニカルミーティングに出られなかったショックは相当なもので、クラクラしていたが、出られなかったものは仕方ない。今できることは、その情報を収集することだけだ。
ミーティングではレジュメはなし。出席した、というスタッフに内容を聞くしかないのだが、さっきの変更された予定が書かれた紙の内容と、明日の開会式についてのスケジュール変更や注意程度しか中身がない。
あまりに乏しい内容なので、本当にそれだけなのか、と尋ねながらもどうもすっきりしない。


部屋に戻り、ミーティング再開。開会式情報とバス・練習時間を伝えた。
選手からの質問で、開会式に家族が出席する方法、団体外の参加の有無について確かめることを約束。
ミーティング後、再び事務局へそれらを確認に行く。
そういう質問をするのは我々だけらしく、すでにすっかり「変わったチームだね」、といった空気になっているが、気にしない。
横ではハンガリーや韓国のチームがスタッフに詰め寄っていて、どうやら彼らも変更に夜になってから気がついたらしい。
奥ではオーストリアのスタッフは公式練習のタイムスケジュールの矛盾点についてISSFから来たスタッフとやりあっている。


新しく設置されたメールボックスを確認しに降りて、ようやく「情報ボード」の存在もわかった。
チェックすると、どうやらテクニカルミーティングの変更よりさらにあとで発表されたようだが、UnofficialTrainingまで、午後の3時間だけだが、予定が変更されて行われたようだ。
うーん・・・。
要領がつかめる前にすっかりやられてしまった。


疲れているが、今夜は眠れそうにない。


[fin]