国体のない夏

能勢射場の試合風景



今年は、6月半ばの府代表選考会に敗れ、10年ぶりに国体に出られないことになった。97年は協会移籍のための休場だったので、予選敗退で出られないのは実に12年ぶりということになる。


春先3月の10mの全日本選手権では総合4位と、体調や練習環境からすれば我ながら感心するほどに力を維持できていた。しかし、もとより落ち着きのない職場の年度末・年度始めの様々に加え、強行気味の結婚式や新婚旅行で、身体にも頭にも射撃の居場所がなくなってしまった。気持ちと調子を戻せないまま、あっという間に予選は終わった。


一次予選で6人に絞ったら、二次予選はたとえ僅差でも一発勝負で決めるのがここ数年のうちの協会のやりかただ。これまでの実績や「総合的な」評価はしない。新しい力が代表を勝ち取りやすく、みんなが(まぐれも含め)代表を目指して頑張れるのはいいことだと思う。選手生命が長い「射撃」というスポーツの、毎年開催される「国体」の予選は、これくらい単純で明快なものでいいんじゃないか、と思う。私が出ていた種目からは、いきのいい大学生たちが新しい代表となったが、先週末の近畿ブロックの予選を通過できなかったようだ。


近年、国体の規模縮小化作業に伴って、地方ブロック予選の通過枠を厳しくして選手数を少なくするようになった。せっかく各府県の予選を勝ち抜いて郷土の代表になっても国体に出られない人が増えた。代表を本戦に送り込めないことには応援もできない、とどこも代表選考は慎重になる傾向のようだ。4回も5回も予選をして、その合計点で決める、なんて県もあるらしい。


これとは別に「ふるさと選手制度」というのができて、進学や就職を機に大都市圏に移り住んだ人が一定の手続きを経て、出身地の代表となることができるようになった。優秀な選手を輩出しながら流出に泣いてきた地方県には福音となったが、各地のブロック予選を激戦にすることにも一役買っている。


新しい若い代表選手がたくさんブロック予選で敗退してしまったので、予選方法を見直したら、という声もあるようだが、うちはこのままでいい、と思う。また、ブロック予選大会が激しいこと自体も、悪いことではない。
(ブロック予選で絞りすぎて、肝心の本大会で「すでに戦いの後」みたいなスカスカ感が漂いかねない点には、ちょっとどうかという思いだが・・・。)


「順当に勝つ」ことに緊張感がともなうのは、大事なことである。


[fin]