練習


今日は、伏射から練習した。


7月のクラブ対抗戦で、新しくスリングを購入した。
こういう長く使う道具というのは、それなりに思い入れのあるもので、買った時の記憶もはっきりとある。今まで使っていたものはスーチャックさんが来てまだ日の浅い、伊勢原全日本選抜で、まだ銃砲店に勤めていたKに注文して買ったものだ。スリングというのは、買ったら、体格に合わせて、金具が邪魔にならないところに来るように組み替えるものだ、ということを教わって、四苦八苦した懐かしい思い出がある。


初めて「組み換え」をしたときは、私の姿勢やセッティングは随分今と違っていて、比較的短いスリング長で伏射も膝射も構えていた。そんなわけで、「かなり余裕を持って」いるつもりで「余分なところ」を切ったのだけれど、その後比較的早い段階でフォームが大きく変わり、伏射は、切ったスリングを比較的一杯に使って構えてきた。だからといって別に困ってはいるわけではない、とこれまでその長さの範囲でやっていた。しかし、自分で「苦手」と決めつけていた伏射で「立射のおまけ」のつもりが、適当なセッティングで立て続けに優勝し、図らずも多少脚光をあびるようなことになって、きちんと観直そうという段になると、スリングがこれ以上伸ばせない、ということが制約要因になっているかもしれない、と思うようになった。


今回もまた同じ、クルトのモデル2というシンプルな定番商品を買った。前のと同じように組み直し、違いは切らずにいることで長さに余裕があるところだけだ。新奇さよりも間違いのなさが一番である。新しいものを買ってみて初めて、滑り止めのゴム部分やベルト本体の硬化がかなり進んでいたことがわかった。
あらためてスリングなしでフォームを取ってみて、感覚重視で調節すると、やはり少し長くなった。とりあえずは構えやすいし、少なくとも今日のところは、エアライフルで撃つ分には弾着などへの影響が認められなかったので、これでしばらく撃ってみることにする。


さて、ひとしきり伏射を撃ったら、落ちるところまで落ちた観のある立射へ移る。
期せずして等閑にしているものの中に、重大なものがあるはずだ、と考えてみる。修学旅行で不寝番をしているときに、何も他にすることもないので、何となく構えの格好を窓ガラスに映して、頭の中でチェックしようとしているものが、実際の目に見える体のポジションとどう関係しているのか、あれこれ確かめたりもした。前回の家での据銃練習では、チェックポイントを比較的最近のよかった時期のものに戻している。


体のユニットがそれぞれにとる形状の組み合わせで、銃がクリップされるような仕組みは、確かにあるけれど、やっぱりバランスがとれて「平衡」しているから静止するんだよなと、えらく基礎的なことを思う。構えた時の固定感、ソリッドな状態の追求、というのがここしばらく基調になってきたが、その辺が落とし穴になっているのではないかと、ぼんやりとであるが思っている。


「宙に浮いているものを、きわどく保つ」ような、何というかデリケートな感じを、見ないように、見ないように、してきたところがあるんじゃなかろうか。
これを手応えといっていいのかは、はなはだ心許ない。そのくらいの収穫を手に、射場を後にした。


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