イチロー

イチロー(番組HPから)



今年の正月2日、NHK番組「プロフェッショナル仕事の流儀」は「イチロー」の回が特番として放送された(http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/080102/index.html)。年末から告知があったので事前から楽しみにして観た。その後、収録し切れなかったトーク部分を編集した「トークスペシャル」が1月22日に放映され、これも偶然家にいる時だったので観ることができた。


日曜日だった昨日、昼間にこの2番組がまとめて再放送された。買ったのに触る時間がなくてほとんど活用されていないHDプレイヤーを、週末の夜中に説明書片手にごそごそ設定して、初めて録画予約を試みた。
今日、上手く撮れたか確認するだけのつもりで再生したら、つい半分以上もじっくりと観てしまった。


私は、野球というスポーツが好きである。
幼いときに、主にテレビで流れていたのが野球と相撲とゴルフだったせいで、私にとって「スポーツ」とは「選手ひとりひとりのために、勝負する場面が設けられるもの」と刷り込まれてしまった感がある。
野球のヒーローは、それぞれに得意とするシーンをひとつひとつ切り取れるようにして持っている感じがして、私にはわかりやすく親しみ深い。


イチローUSA語録 (集英社新書)
イチロー・オン・イチロー―Interview Special Edition
イチロー×北野武キャッチボール
高い意識を持ちつつ、世間受けするようにそれを無理やりオブラートに包み隠すことはしないが、回路を閉ざすこともなく、正確さを心がけた丁寧な表現で自らのパフォーマンスや考えについて語る「イチロー」には、ひとつのお手本としての憧れがずっとあった。
イチローUSA語録」や「イチロー・オン・イチロー」、北野武との対談など、「解説」的な色合いの薄い、「声」を書いた本はずっと手に取ってきたし、「発言」をともなう記事やニュースがないかと、いつも楽しみにしている。


今回の番組は、イチロー選手にとって「特別」だった、という2007年のシーズンを間近に捉え、今までに見たり聞いたりできなかった部分に迫っていて大変興味深かった。


非常に僭越だが、射手としての自分と重ね合わせながら、共感したり刺激を受けたりしている。
バッターボックスと射座は、私の中では重なりあっている。セーフコフィールドのバッターボックスに立つイチロー選手とのアナロジーで、射撃の技術について気づくことがいろいろある。そのイメージは、試合中でも引っ張り出してくることがある。


射手と標的の相対的な動的関係は、読み抜きで(剛速球と変化球を併せ持つ)ピッチャーの球に対峙するバッターと同じだと、私は捉えているし、その「関係」において最善の反応をするために必要な「状態」も、全く同じだと感じている。
(ただ、1発1発の積み重ね具合は、「打席」という限られた機会にものすごく高いピークを達成する必要のあるバッターよりも、コンスタントに間違いを回避し続けるピッチャーの方に近い。異なるスポーツの間にアナロジーを働かせるのだから、単純に何かが何かにすっかり当てはまるわけではもちろんない。)


1度目のときは見落としていて、2度目にして「へえー」と感心する部分もあり、飽きることがなかった。
まだまだこれからも、勝敗や成績も横目にしつつ、イチロー選手の「探求する姿」や言動から目が離せなさそうである。


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