休日出勤


学校を会場校に、生徒に日本語ワープロ検定を受検させるため、今日は休日出勤した。
1ヶ月前から、生徒には今日に向けていろいろな準備をさせてきたので、受験する生徒たちは緊張感と意気込みを持ってやってきた。


今回で2回目になる。
1回目の前回は、ゆうゆう合格するだろうと踏んでいたのに、緊張しすぎて練習のときにできていたことをすっかり忘れてしまい、ダメだった生徒が何人かいたが、今回は普段の力がみな一様に発揮できているようだったので、ほっとする。
前回は軽い気持ちで受けたのが、「合格」を生徒集会で発表してもらったのがめちゃくちゃうれしくて、今回はすごく入れ込んでいる生徒もいたりして、本当にほほえましい。
出来を確認してみると、全員合格とはいかないようだが、できるだけたくさん合格してほしいなあと思う。


検定自体は1時間くらいですんで、生徒たちは三々五々帰っていった。
受験者報告や発送準備を済ませて、他の仕事に取り掛かった。


今日は、食品生産系の学科で、社会人講師を招いて、指導に当たる教員が、休日返上で製菓技術の実技講習を受けている。
「就業に結びつけるための職業教育」、と簡単に言うが、「学校」という組織を使ってやる以上は、基本的に「教員」が「指導」するしかないので、それぞれの先生の「余技」に相当する部分を自主的な勉強と研修で目いっぱいに伸ばして、それでもって「仕事する」、しかない。


「外部から専門家を招く」、「校長を財界や企業など外部から招けばよい」・・・聞こえはいいが、ことはそう簡単ではない。
一見してはわかりにくい障害があり、理解力や根気に驚くほどの多様性のある生徒たちに、限られた時間・環境で指導することを、招いた「職業技術のプロ」すべてに要求することは難しい。人材バンクという制度はあるが、そのバンクに照会すれば人が見つかる、というわけではない。いろいろな伝手から、指導をしていただける人を探してきて、そこに登録してもらい、指名する手続きを踏む、という手順になることがほとんどだ。
これは、「何を教えるか」を具体的に考えて当たると、リストの情報(たとえば「業種」)は大まかに過ぎることが多い、ということや、こちらの求めていることが、その人自身が「特技」と思っていないことであったりすることが多いのでリストにない、ということがあって、仕方のないところなのである。


自身が働いたこともない、倉庫や工場、様々なオフィスで「必要であろうスキル」を見定め、しかもそれを「指導」してしまうのだから、少ない機会から、洞察力・想像力をフルに働かせて、「仕事」を消化・再構築することの繰り返すしかない。
当然こういうことは、「試行錯誤」であるはずなのであるが、いまはどこも「書類主義」で、表向きの口調とは別に、そういう状況を形式的には極端に嫌う傾向がある。


さも見通しが立っていて、「そのうちの○%ができ、○%が次年度の課題である」、みたいに、状況を矮小化し、ありもしない安っぽい見通しで体裁を整えることにやたらエネルギーを割かれる。開校2年目、校種としても新規な取り組みであるのに、「試行錯誤」の方が厭われ、既存の枠組みに沿った説明責任、みたいなことにばかり血道を上げる傾向があって、実に不愉快なことが多い。何を始めるにもまず「クレーム対策から」、みたいなことが、創造的な展開にいいとは、あまり思えないのだが、本来そういう説明責任を一手に引き受けていた部署なり立場の者だけでは受けきれなくなって、それを「全体の仕事」にせざるをえなくなった、というところなのだろう。


仕事の「本流」として、不毛な(体裁を整える)作業に明け暮れなくてはならなくなった代償は、「世の中」のトータルで考えると相当なものだと思う。少数による、「いわゆる本業とは違うかたち」での良心的な取り組みだけで、「本来」の創造的な部分の作業をすべてまかなっているような状況は、今のいろいろなところで結構起こっている、「仕事のしくみの本末転倒」みたいな部分を映しているような気がしてならない。


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