訃報


相方の祖母の弟、淡路島の大叔父が亡くなったという知らせが一昨日の夜入ってきた。


いろいろな技術に長け、危機にあった会社を立て直した創意工夫の人である。
漁具、中でも様々に工夫を凝らした品質のいい錘をつくり、販路を拡大、事業の多角化も行った。機械づくりに長けて、縫機・編み機まで作って服の縫製にまで手を広げていたことがあるという。さして大きな失敗をせずにふたたび事業をスリムにまとめて、今もしっかり会社は続いているというから、技術の腕だけでなく、商才にも恵まれた人だったのだろう。


シベリアに抑留されて、ながく日本に戻れなかったという経験をしておられる。私の父方の祖父は同じ抑留経験があり、亡くなる前になって当時の話を急にいろいろしてくれたものだった。相方の祖母に会いに来られていたときには、そんなことを緒に、戦中戦後の話も興味深く伺った。
淡路の大叔父は、私の母方の祖父とは歳が同じである。この学年は開戦と成人がほぼ同時だったこともあって、世代別に見ると生存率の最も低い、悲運の学年なのだ、とは祖父からよく聞いていた。普段の様子には軽妙な印象がありながら、戦争を含む核心となるある部分については多くを語らず、どことなく凄みがあるところがどことなく似ている、と勝手に思っていた。接した時間の少ない、義理の親戚なのだけれど、強い印象が残っている。


淡路島は少し遠いけれど、通夜式と明日の葬儀に、義父母が出席するのについて相方と娘息子も出席する。日中にゆっくりと移動して無事に着いた、とメールで連絡があった。今夜はこちらでもひとり、冥福を祈る。


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